お好み焼きという名前で呼ばれるようになるのは、昭和25年ごろからだ。広島市の中央通りが拡幅され、そこにお好み焼きを売る屋台が現れる。この屋台は中央通りに隣接する新天地公園にも増えていき、屋台村を形成するようになる。昭和32年には屋台村が西新天地公園に移転、お好み焼き以外の店も含めて約50店舗の屋台村となる。お好み焼きに中華麺が入り、肉玉そばという現在の形になるのもこの頃だ。昭和34年の焼きそばブームが背景にあるともいわれる。
お好み焼きという名称は、お好みの名の通り、さまざまな具材が入ることから来るものだろう。一銭洋食は支援物資の小麦粉に簡単な具材を包むだけのもの。包む具材がなければ、生地にソースをつけただけで食べたこともあったといわれる。そこにお好みであれこれ具材が入り、おなかいっぱい食べられるようになる。そんなお好み焼きの成立自体が、広島の復興を象徴するものだったのだ。 (広島経済大教授=広島市)
(2023年6月13日朝刊掲載)
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