よもや自身の逮捕はないと「日大のドン」は高を括っていたのかもしれない。 社会部デスクによれば、 「発端は、日大板橋病院と日大事業部を巡る背任容疑で、日大理事の井ノ口忠男被告と大阪の医療法人錦秀会の籔本雅巳被告が東京地検特捜部に逮捕されたことでした。その間のガサでは田中英寿容疑者の自宅から1億円超の現金が見つかり、特捜部は色めき立った。しかし、背任容疑は詰め切れず、2018年と20年に井ノ口被告から流れたリベートなどで得た所得を隠し、計5300万円を脱税した容疑で逮捕したのです。本人は一貫して否認しています」 これまで卒業生120万人以上を送り出した日本最大のマンモス校の利権をほしいままにしたトップの転落。力の源泉は「相撲」にあった。 〈相撲が私の人生に輝きを与えてくれた〉 過去、雑誌でこう語っている田中容疑者は太宰治と同じ青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)の出身である。小学校時代から相撲に取り組み、高校時代には国体で団体優勝。日本大学進学後も相撲部に所属した。 ベテラン相撲記者が解説する。 「日大相撲部では1年後輩に、のちの横綱、輪島がいました。当時から、輪島よりも田中の方が実力は上だと言われていた。田中の得意技は下手投げでしたが、それを教わった輪島は大相撲入り後、左からの下手投げで一世を風靡し、“黄金の左”と呼ばれた。田中本人は上背が足りなかったので、大相撲はあきらめ、日大に残ることにしたのです」
力士の支度金を懐に
その後、日大相撲部のコーチを経て1983年に監督就任。その過程で多くの力士を大相撲へ送り込むようになる。 「当時、角界に入るには中学卒業後、すぐに部屋に入門するのが主流でした。しかし、田中監督は、大学から部屋というルートを開拓します。プロでも通用する上背のある学生をスカウトし、育成するのです。田中が育てた力士は舞の海、琴光喜、高見盛など50人以上に及びます。そして、学生を力士として部屋に入れると、部屋から田中監督を通じてその力士に支度金が支払われる。その額は大学時代のタイトルに応じて、数百万円から数千万円にもなり、その一部を田中監督が懐に入れていた。その頃に金への執着を覚えたといわれています」(同) また、“黒い交際”も度々取り沙汰されてきた。 「昔は大相撲の地方巡業はヤクザが仕切っていた。日大出身の力士が増える中で、若かった田中さんは彼らを通じてヤクザと知り合うようになり、やがて組長ら幹部とも交流が始まるのです。本人も“山口組組長と付き合っている”と吹聴していた。時代の流れで暴力団との付き合いが難しくなった頃、田中さんのところに彼らから連絡がきていました。“俺の名刺は捨ててくれ、もうこっちから連絡しないから”って。田中さんはその後、学内の宴席で“あの人たちは立派だ”と感心していました」(日大の元幹部)
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